中野島稲荷神社
令和5年
10月7日(土) 午前8:30〜
宵宮祭
10月8日(日) 午前9:00〜
湯花神事
例大祭
※両日ともに神楽殿での催し物が開催されます。詳しくは神社の掲示を御覧ください。
ご祭神
○本殿○
主祭神 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
ご神徳 商売繁盛・事業繁栄・乳幼児守護
相 殿 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
ご神徳 合格・学業成就
○境内社○
【秋葉社】
ご祭神 火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)
ご神徳 防火
【水神社】
ご祭神 罔象女神(みずはのめのかみ)
ご神徳 水災防護
【照信明神社】
ご祭神 瘡の神(かさのかみ)未詳
ご神徳 皮膚病治癒
【地神社】
ご祭神 大地主神(おおとこぬしのかみ)
ご神徳 境内地守護
【川除稲荷社】
ご祭神 倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
ご神徳 水害防護
由緒
江戸幕府の昌平坂学問所で編纂された「新編武蔵風土記稿」(文化・文政期1804~1829年)及び明治時期に神社から国に提出した「神社明細帳」は創建の年代を不詳としていますが、「新編武蔵風土記稿」による限り、江戸の中頃以前には既に祀られていたことが確かです。明治維新後に新政府が打ち出した宗教政策には江戸幕府が行った寺請制度(寺院が戸籍係を兼ねる)を廃止し新たに氏子制度を設けるというものがあります。これに伴い、各神社へは「神社明細帳」(神社の戸籍調査)の提出を義務付けました。中野島稲荷神社は矢野口村國安明神(現穴澤天神社)の山本信継神主が兼務しました。
この山本神主が明治4年に神奈川県御役所へ提出した「神社明細帳」の写しが残っています。武蔵國多摩郡中之嶌鎮座〔稲荷社〕と記すものです。そして末尾に「古今沿革不詳」「摂社・末社無之」と記しています。この時代には境内に末社は無かったようです。また社務の関しては「所管していた天台宗別当観音寺が御一新により神社を離れましたので、國安明神神主山本信継が兼務することになった」と記しています。(原本は穴澤天神社所蔵)
その後、明治26年に穴澤天神社祀官山本近次郎が神奈川県神官取締委員に提出した「神社明細帳」の写しがあります。「神奈川県武蔵國橘樹郡稲田村大字中ノ嶋 村社 稲荷神社/境内神社 天神社・秋葉社・弁天神社」などの社名が加わっています。当時中ノ嶋村にあった幾つかの小社を合祀したものと思われます。(維新政府は王政復古に伴い社格(神社の格式)を定め、特に合祀を強力に進めました。無社格から村社への格上げは村内にある数社の合祀が必要だったものと思われます。)
ところで現在の社殿については天保6年(1835年)の棟札があります。昭和40年代に大改修が行われました。拝殿・正面の彫刻などに当時の姿を見ることができます。